多田満中 現代語訳

上巻

 そもそも、思いを巡らしてみれば、天はあらゆるものを覆いつくしていますし、またそのすべてのものは地の上に存在しています。 何もかもが混沌としていた天地未分の状態において、清らかで澄んでいるものが上って天となり、重く濁っているものが下って地となったのでございます。 そして、この天と地の間にいるのが人間です。この後より、君子によって天下が治められることとなりました。

 一般に、神武天皇以後、第五十六代の天皇を清和天皇と申し上げます。清和天皇には皇子が六人いらっしゃいます。 第一皇子は陽成院、第二皇子は貞秀親王、第三皇子は貞元親王と申し上げます。この貞元親王は琵琶弾きでございます。 また、桂の里にお住みになっていたので桂の親王とも申し上げます。第四皇子は貞平親王、第五皇子は貞義親王、第六皇子は貞純親王と申し上げまして、 兄弟が六人いらっしゃいました。

 その中でも、第六皇子貞純親王の御子を六孫王と申し上げます。そして、六孫王の御子を多田満中(ただのまんちゅう)と申し上げます。 満中の頃に源氏の姓を初めて賜り、上野守となって、武芸の道に関しては並ぶ者がいませんでした。満中の嫡男は津守頼光(つのかみらいこう)、 次男は大和守頼信(やまとのかみよりのぶ)、三男は多田法眼(ただのほうげん)といって比叡山の八部院を創建なさった人物です。
 満中は、朝廷によく仕え、そのお守り役として朝廷に逆らう敵を滅ぼし、諸国を従えなさる様は、まるで雨が国土を潤すようでありました。 また、満中は正しい道理に基づいて訴訟を裁き、法律に照らし合わせて不公平のないようにしていましたから、人々にたいへん尊敬されておりました。

<満中、仏道に帰依する>

絵1

 そんな満中でしたが、ある時ふと思い立つことがありました。
「そもそも人間の一生など、みな夢や幻と同じではかないものじゃ。この世に生きる人間の限られた命を思えば、わずかに六十年。 人間の一生など定まらない、暁の夢のようなもの。将来のことも夢のようでないと果たして言えるじゃろうか。 いかに栄華を極めても、そんなものは朝顔の花が朝に咲いて夕方にはしぼんでしまうのと変わりはせぬ。松の木が千年の間緑を保つのとは比べようもないわ。 宵のうちに楼上の月を楽しんだとても、夜明け前には雲居の彼方に隠れてしまう。短い一生のうち、物事に執着して、無駄に明かし暮らしたところで何になろう。 わしは、この世で生きておる今こそ、このように武士として人に恐れられておるが、あの世に赴く時には、数千人の従者たちも誰一人として付き従ってはくれぬ。 ただ地獄の鬼どもに追いかけられ、責めさいなまれるばかりとは、なんと口惜しいことじゃ。 とはいえ、仏道に帰依して仏を敬おうとすれば、殺戮を専らとする武士の道は疎かになってしまうじゃろう。どうしたものかのう。」
 けれども、一たび思い立ったその御心は、なかなか捨てられるものではありません。そこで満中は、ある尊い上人様の庵室を訪ねて行きました。
「上人様、我々のような衆生は、どのようにして死後の世界での安楽を望み、極楽に往生すればよいのでしょうか。」

【上人のもとを訪ねる満中】

「恐れ多くもお尋ねくださいました。まことに出家の証としては、そうした言葉こそ本当に聞きたいものです。 我が国におきましては、欽明天皇の御代に仏教が伝えられました。 そして、聖徳太子が物部守屋を討ち従えてより仏法繁盛の現在に至るまで、仏教を崇拝することは格別でございます。 ここに法華経と申しまして、八巻のすぐれた尊い経典がございますが、これは唯一かけがえのない大切なお経でございます。 この法華経に親しみ、仏と縁をお結びなさいませ。」
「それではその法華経とはどのようなお経なのでしょう。その中で仏さまはどのようにお話になられておるのですか。」
「そもそも法華経の中には、人間が本来持っている仏になれる素質というのは三つの煩悩から生じるのである、と書かれています。 武士の道に携わっていれば、人を生かすことも殺すこともすべて、その瞬間の心の動き次第でございましょう。 このお経の一節でも聞いた人は、五つの修行にもまさる功徳を得ると申します。ましてあなた様は、国家や人民、ひいては仏法を護るために弓矢をとっておられる。 一人を殺して多くの者を助けるという、一殺多生の功徳があるはずでございます。仏が悪魔と戦ってこれをうち倒すというお経もあるのです。 出家せず普通の暮らしをしておりましても、成仏できるかどうかというのは心の持ち方ひとつで決まるものです。 天竺の浄名居士(じょうみょうこじ)や我が国の聖徳太子も、在家のままで仏道修行をなさいました。 たとえ重い罪を犯した者であっても、ほんの一瞬でも念仏を唱えることによって、その罪が消滅することは疑いがありませんよ、満中殿。」

「なんと有り難いことでございましょう。そのようなお経でございましたら、法華経を是非とも伝授していただきたく思います。愚鈍なわたくしではございますが、常に参上いたしますから、一字ずつでもお授けください。」
「勿論でございます、お授けいたしましょう。それにしても、仏がこのお経をお説きになられた時には、草木や国土といったものまでもすべてが成仏したと申します。即身成仏(生きているまま仏になること)とまではいかなくとも、私の力の及ぶ限りお教えいたしましょう。」
 上人はまもなくして、満中に法華経一部を伝授なさいました。
絵2

【上人より法華経を伝授される満中】

<満中、子息の美女御前を仏門へ入れる>

絵3  満中は考えました。
「やはり、人間にとってもっとも大切なのは、死後の世界での安楽じゃ。末の息子を一人出家させて、わしらの後生を弔ってもらおう。」
 そこで、美女御前という十二歳になる若君を呼んで言いました。
「美女御前よ、寺に入り、学問をして法師になり、我らの後生を弔っておくれ。」
 美女御前はこれを聞いて、
「これは困ったこと。他人のことであっても出家など嫌なことだと思っていたのに、それが自分の身の上に及んでこようとは……」
と心の中では思いましたが、父親の命令ですから背くわけにはいきません。しぶしぶ承知をしますと、すぐに中山寺というお寺に預けられることになりました。
 満中は何度も、
「寺に入ったら、学問の最初に、まず法華経をよく読んで覚え、それからその他の多くの教えについても学びなさい。」
と念を押します。
 美女御前は約束して寺に入りましたが、お経を学ぶ気などいっこうに起こりません。 たくさんの木の皮や草の蔓を集めてきては、鎧や木長刀、木太刀などを作り、他の稚児たちを追いかけ回し、飛んだり跳ねたり、 相撲をとったり、力比べをしたりと、武芸のまねごとばかりして、朝から晩まで天狗のように、すばしこく動き回っていました。 それを師匠や仲間の僧がお説教しようものなら、逆に殴りつけるしまつです。 ついには、寺一番の悪事は、すべてこの美女御前一人の勝手な振る舞いであると言われるようになっておりました。

【寺で武芸のまねごとをする美女御前】

<満中、家来の仲光に美女御前の成敗を命じる>

 満中は、寺での美女御前の行いなど夢にも知りません。
「今頃は美女御前も法華経をよく読み覚えていることじゃろう。呼んでお経を読ませて聞いてみるとするかのう。」
と言って、家来の中務仲光(なかつかさなかみつ)という侍を使いにたてて、美女御前を呼びました。
 あわてたのは美女御前です。
「これは困った。この二、三年の間、寺にいたことはいたが、お経など一字も学んではおらぬ。 里へ帰れば、きっと父上は『法華経を読め』とおっしゃるに違いない。どうしたものか」
と思いましたが、
「今さらお経を習ったところでどうしようもない」
と考え、そのまま多田の里へと向かいました。

 美女御前が里へ着くと、満中はすぐに対面します。
「久しぶりじゃのう、美女御前。しばらく見ないうちに、ずいぶん立派な大人になったものじゃ。 これならば、約束していた法華経も覚えておるじゃろう。さあさあ、お経を読んでおくれ。聴聞しよう。」
 美女御前はただ一言、
「承知しました。」
と答えました。紫檀(したん)の文机の上には、金泥で書かれた八巻の法華経が並べられています。
 満中はこれを見て、
「かねてより申しておったのはこのお経じゃ。さあ、読んでおくれ。聴聞しよう。」
と言いますが、美女御前はだまったまま、何の返事もしません。
「のう、どうした。なぜお経を読まぬのじゃ。もし一字でも読み間違えたら許さんぞ。」
 満中は、太刀に手をかけて今にも抜こうとしながら、
「早う読め、早う読め。」
と催促します。

 かわいそうに、美女御前は、結局一字も習わずじまいのお経ですから、お経の巻物の紐を解いて開くまでもありません。真っ赤になってかしこまっているばかりです。
 満中はそんな美女御前の姿にしびれを切らして、
「頼りがいのない奴は、こうしてくれるわ。」
と、太刀を抜き、美女御前に斬りかかります。
 けれども、美女御前も負けてはいません。お寺にいる間、お経を一字も学ぶことなく、武芸のまねごとばかりしていたのですから。 机の上のお経を一巻、手にするが早いか、満中の太刀をさっと受け、座ったままでひらりと後ろへ飛び退きます。そして、そのまま稲妻のように姿を消してしまいました。
 怒ったのは満中です。仲光を呼んで、
「仲光、この太刀で美女御前を討ち、首を持って参れ。」
と命じ、先祖伝来の太刀を差し出します。まさに武士の道理にかなったことでございますから、 仲光はともかく御返事を申し上げず、平身低頭して顔を真っ赤にしておりました。
 満中は、そんな仲光を見て、
「おまえはわしの命令がきけんのか。美女の首を持ってこぬならば、おまえはこの世においても、あの世においても、不忠者じゃ。」
と怒鳴ります。ここまで言われては、仲光も
「主君の命令を重ねて辞退することになっては、具合が悪いに違いない」
と考え、太刀を受け取って、自分の家へと帰りました。

絵4

【満中の太刀を経典で受け止める美女御前】

絵5   かわいそうに、美女御前は仲光の家へ逃げ込み、何とも恥ずかしげな様子で門のところにたたずんでいます。 そこへ仲光が満中のところから帰ってきました。美女御前は、仲光の袖にすがりつき、
「かねてから、家来のうちに大勢いる侍の中でも、おまえのことを本当に頼もしく思っていたのだ。」
と言って、泣き出します。仲光は、ちょうど今、美女御前を討って参れという命令を受けたばかりですが、あまりのいたわしさに、
「さあ、どうしてそのようなところにいらっしゃるのですか。こちらへおいでください。」
と、美女御前を家の中へと案内します。
「さて、家来の数ある侍の中で、他の誰でもなく、それがしに若君を討って参れと仰せがあったのも、 ひとえに若君のお命が助かるための何かの縁でございましょう。たとえ、それがしが首を打たれようとも、若君のお命は必ずお助けいたします。ご安心なさいませ。」
とはいえ、満中のところからは、何度も使いが来て、
「どうして美女の首が届くのが遅くなっておるのじゃ。早く首を持って参れ。」
と繰り返し催促されます。
「これはどうしたものか。若君のお命のかわりとしてそれがしが切腹したとしても、殿は若君のお命をお助けくださるまい。 それでは、まったくもって無意味じゃ。さて、どうしたものやら。 まさしく討てと仰せになるのは、三代の恩を受けて参った主君、また助けよと仰せになるのも主君、はてさて、どうしたらよいものか。」
 仲光は、進退窮まって、どうしたらよいか分からなくなってしまいました。

「おお、そうじゃ。それがしの息子、幸寿丸(こうじゅまる)は若君と同年じゃ。九歳の時から寺へ上らせて、今年は十五歳になっておる。 幸寿丸が若君と同年に生まれたとはなんと幸運なこと。この者を呼び戻し、若君の身代わりにしよう。」

【仲光のもとに逃げ込む美女御前】

<仲光、我が子の幸寿丸に美女御前の身代わりを頼む>

 さて、この幸寿丸はとても温和でけなげな性格であったので、師匠や他の僧たちから数ある稚児のうちでも特に抜きんでた人物だと思われ、大切にされていました。 姿形もたいへん優美で、肌はまるで白雪のよう、幸寿丸が微笑むとみんなが好感を持ちました。 また、学問も人並み以上に優れていて、一字を学べば千字を悟るほどであり、並ぶ者がない稚児学匠(稚児であるが、仏道を深く修め師となる力がある者) の評価を得ていました。さらには詩歌管弦の才能にも恵まれており、寺にいる者で幸寿丸に思いを寄せない者はいませんでした。 そして、幸寿丸の志は山のように高く、いつも心の中で詩を作り、和歌を詠じながら、寺での日々を過ごしておりました。
 その幸寿丸のところへ父親から急ぎの使いがやってきました。相談しなければならないことがあるから、ただちに寺を下りて帰ってこいというのです。 幸寿丸はこの六、七年の間両親に会っていなかったので、恋しく思っていたところでした。そこへ迎えの使いがやってきたのですから、 師匠や同宿の僧たちに暇乞いをし、喜んで里へ下りました。

 父の仲光は門のところに立って、幸寿丸の帰りを待っていました。幸寿丸は父の姿を見つけると、嬉しそうに馬から下りて駆け寄ってきました。 その成長した姿や大人びた様子を見て仲光は、
「ああ、むごいことよ。ここまで育ててきた甲斐もなく、これから自らの手にかけねばならぬとは……。」
と思うと、涙をこらえることができません。

「幸寿丸よ、そなたを呼び戻したのは他でもない。美女御前が父上の仰せに背かれたゆえ、それがしに討てとの命令が下されたのじゃ。 しかし、若君はそれがしを頼って、ここへ逃げ込んでこられた。どうして無情にも若君をお討ちできようか。 信義を重んじて命を惜しまず、生死の分かれ目においても自らの命を投げ出す覚悟を持つのが君主と臣下との約束事。 主君の恩を受ける臣下たるもの、主君の命にかわるのは当然のことじゃ。親孝行の子どもは、身を捨てて親の菩提を弔うとも言う。 そなたは寺で学問をしておったのじゃから、このあたりのことはよく心得ておろう。面目ないこととは思うが、若君の身代わりとなってはくれまいか。」
 幸寿丸はこれを聞いて、にっこりと笑いました。
「喜んでお受けいたしましょう。武士の子と生まれたからには、主君のお命にかわることなど覚悟いたしておりました。 主君のお命にかわり、また親の仰せにも従うことができるとは本当に光栄なことでございます。 さあ、早くわたくしの首を取って、若君のお命をお助けください。わたくしの命など露ほども惜しくはありません。 仲むつまじい男女の契りも生きている間のことです。千年万年の長い契りを結んだとしても、短い一生が終われば、人はこの世に残ってはいられません。 このまますぐに生まれかわることこそ、わたくしの喜びでございます。そうは申しましても、少しのお暇をくださいませ。母上に最後のご挨拶を申し上げとうございます。」
「おお、なんと不憫なこと。早く母上のもとに行き対面せよ。決してこのことを母に知らせるでないぞ。」
 これを聞いた幸寿丸は腹を立て、
「さては、わたくしが子どもだからといって、未練がましい者とお思いですか。そのことについては、ご安心ください。決して知らせたりなどいたしません。」
と、気丈に言い、母のもとに参上しました。
 ところが、母の姿を見るなり、涙を流してしまいます。

絵6

【幸寿丸に身代わりを頼む仲光】

 それを見て母は、
「久しぶりだねえ、幸寿や。この六、七年の間寺に暮らし、このほど帰ってきて、さぞ喜ぶだろうと思っていたら、母を見て泣き出すとはどうしたんだい。」
と尋ねます。
  幸寿丸は、流れる涙を押しとどめながら言いました。
「そのことでございます。昔、唐土(もろこし)の漢王が胡国に攻め込んだ時、こうせい将軍を大将とし、百万騎の兵を与えて派遣しました。 十二年の合戦の後、ついに戦に勝って凱旋した将軍は、故郷の母親のもとに参上して涙を流しました。 それを見た母親は、『このたび戦に勝って、喜びにあふれて帰ってきたはずのそなたが、何を悲しんでそんなに泣くのじゃ』と尋ねます。 将軍は『胡国へ出陣しました時には真っ黒だった母上の御髪(おぐし)が、今は真っ白であらせられます。それが悲しくて泣いているのです。』と答えました。 母親は、『自分自身の身に積もる年齢という年月を本人さえも考えていないのに、親が年を取ったことを見て泣くとは……』 とあわれにも嬉しくも思われたと、ある書物にありますのを今思い出し、自分自身と重なるように思われました。 九歳の年に寺へ上がった時には真っ黒であらせられた母上の御髪が、今はだんだん白くなっているのを見ますと、 この後どれほどお目にかかれるであろうかと思うと悲しくて、不覚にも涙を流してしまいました。」

絵7  幸寿丸のこの嘘を母はまったく疑いません。
「不憫な子だねえ。本当の子どもでなかったら、母の髪が白くなったことなど悲しんではくれないだろうね。ましてや死後の弔いを気にかけてくれるとは何と嬉しいこと。」
と、幸寿丸がこれから親に先立って死んでしまうとは夢にも知らず、その親孝行な心を頼もしく思っていました。
「このままもうしばらくお話ししていたいとは思いますが、美女御前が満中殿の仰せに背かれて、こちらにおいでとうかがいました。 少しの間参ってお目にかかり、ご挨拶を申し上げてから、すぐにまた参りましょう。」
と、嘘をついて、幸寿丸は母の御前を退出しました。

 これが最後の別れだと分かっている幸寿丸の心中は、どれほど悲しみに満ちていたことでしょう。

【母に最後の対面をする幸寿丸】

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