多田満中 翻刻

下巻

  
 ○清濁は原典のままとした。
 ○句読点、鍵括弧は適宜補った。
 ○適宜、段落に分けた。
 ○人名、地名のうち主なものに関しては、初出の際に( )つきで漢字をあてた。
 ○挿絵の解説は【 】で示した。
 ○誤字と思われる箇所はママとし、( )で正字を記した。
 ○踊り字(「く」の倍角)は(※く)と表した。

 その後、ちこ一まところにたちいり、御きやうよみ、ねんふつ申、一しゆのうたにかくはかり、
    きみかためいのちにかはるのちのよのやみをはてらせ山のはの月
 かやうにかき、
「ししやう、とうしゆく、こしのはうへ、かす(※く)のかたみのふみまいらせたくは候へとも、これさへかなふへからす」
と、たゝふみ一つうに、いつはりかうそかゝれける。
「さて(※く)、このたひまかりくたる事は、へちのしさいならす。 そのゆへは、主君ひちよこせん、まんちうのきよいにそむかせ給ひ、しゝん御てにかけさせたまひて候を、とふらひ申せとて、よひくたして候ほとに、 わかきみの御さいこのてい見るに、心も心ならす、ちゝにもはゝにもしのひ、わかきみの御こつをとり、くひにかけ、高野のみねとやらんへおもひたちて候そや。 みとせかあひたのはるあきををくりむかへ、かならすまいり、御めにかゝり候へし。ししやう、とうしゆく、こしのはうへ。かうしゆ丸」
とかきとゝめ、ひんのかみをすこしぬいて、ふみのおくにまきこめてこそをかれけれ。わか文なから、一しほになこりのおしさかきりなし。

 一まところをたちいて、ちゝの御まへにまいり、
「はゝこにさいこのたいめん、心しつかに申て候。いまは、はやこんしやうにおもひをく事候はす。 さりなから、一まところに、ふみの一つう候をは、此とし月すみなれしてらへをくりてたへ。」
と、たしかに申をき、つほのうちに、われとしきかはをしき、たけ成かみをたかくまきあけ、にしにむかつて手をあはせ、
「なむさいはうこくらくせかいのあみたふつ、ことには、我たのみをかけ申、大し大ひのくはんせをん、ねかはくは、ほんくわんをすてす、われをみちひきたまへ。」
と、まことに心すゝしくみえけれは、ちゝたちぬきもつて、たちよりけるか、めもくれ、心もきえはてゝ、たちのうちとも見もわかす。 かなしきかなや、春三月の花も、むしやうの風のふかさるほと、三五のよるの月も、くものおほはさるほとなり。 むしやうのつるきをぬき、一度身にふれなは、いつきのくらゐをてんして、すなはちとくたつすへきなり。 いつれの人かおやとなり、何ものか子とむまれ、ためしなき事をもらすらん。 めいえうおちやすし秋一時の、てむくわうのかけのうちに、つるきをふると見えしかは、くひはまへにそおちにける。

絵1  かねておもひまうけたる事なれは、いまさらなけくにをよはすとて、わかきみの御ひたゝれを申おろし、 ひたゝれのそてに、かうしゆかくひをつゝみ、まんちうの御まへにまいり、
「きよいそむきかたきにより、いたはしなから、御くひをたまはりて候。いまはゝや、御ほんもうをとけさせ給ふうへ、御はらゐさせたまへ。 あら、御なさけなの我きみの御しよそんや。」
と申もあへす、くひを御まへにさしをき、ひたゝれのそてをかほにをしあてけれは、まんちう御らんしあへす、
「いしくもつかまつりたり。さりなから、くひをは、なんちにとらするそ。よきにけうやうし、あとをはとふて得させよ。」
とて、れんちうふかくいりたまひけり。

【満中に首を差し出す仲光】

 そのゝち、くひをとり、我しゆくしよにかへり、女房をよひいたし、くはしき事をかたり、かうしゆかくひを見せけれは、 はゝはかうしゆかくひをみて、やかてきえいり、物いはす。
 それえうてうたるくれなゐのかほはせ、はなにそねまれしすかたも、 ゆふへの風にさそはれ、せんけんたるみとりのまゆすみ、月にねたまれしかたちも、あかつきのくもにかくれ、ゑしやちやうり、 にんけんのならひ、しやうしむしやうのことはりは、さま(※く)おほしと申せとも、とりわきあはれなりけるは、かうしゆか事てとゝめたり。
「されはこそ、かうしゆ、てらよりくたり、われをみてなくほとに、ふしんをなしてさふらへは、いこくの事をかたり出し、 みつからをなくさめしを、ゆめにもみつからしらぬなり。たとへは、御しうのいのちにかはるへき事を、みつからいかてとゝむへきそ。 かくとしらする物ならは、ともにかいしやくし、さいこのていをみるならは、かほとにものはおもふまし。なさけなのなかみつや。」
と、くひにいたきつき、ふししつみてそなきゐたり。

絵2

【幸寿丸の首に抱きつき泣き伏す仲光の女房】

 おりふし、ひちよこせんは、ものこしちかく御さありしか、かうしゆかさいこのよしをきこしめし、あひのしやうしをさつとあけ、たち出させたまひて、
「なにと申そ、ふうふのもの。かうしゆかくひをうつほとならは、何とてひちよかくひをはうたぬそ。かうしゆをきらせ、 我、うきよになからへ、たれにおもてをあはすへき。」
と、おもひきらせたまふ御いろをみて、いそきふうふのものまいり、御まほりかたなをむはいとり、
「けふよりして、ふようの御心中をとゝめさせ給ひ、かくもむよきにめされ、かうしゆかほたいをねんころにとふらひて御とらせ候へ。はや(※く)御しのひ候へ。」
とて、人めをつゝむ事なれは、よはにまきれてたゝのさとを出、みやこにつき、こゝは人めもしけしとて、天たいさんのしもやま、十せんしの御まへに御とも申、
「このしんりよの御はからひとして、此山のいかならんするせきかくの人にも御つき有て、かくもんよきにめされ候へ。 いかにわかきみ、きこしめせ。それ、てんちくに、しゝと申は、けたものゝ中のわうなり。かのしゝ、としに三つつゝの子をうむ。 うまれて三日と申に、まんちやうのかんせきをおとしてみるに、そんせすやふれさるを子とし、むなしくなるはそのまゝなり。 かゝるけたものまても、子をはためすならひの候。まんちうの、わかきみさまを御かんたう候をうらみとはしおほしめされ候な。 らいせにては、かならすけちえんすへきたうりの候。いとま申て、わかきみ。」
 ひちよこせんはきこしめし、
「や、はやかへるか、なかみつよ。うきよはくるまのわのことく、いのちのうちにいま一度めくりあふへきよしもかな。なこりおしや。」
との給ひて、はる(※く)見をくりたゝすみたまへは、ゆく道さらにみもわかす。たま(※く)事とふ物とては、 みねにさわたるさるのこゑも、わか身のうへとあはれなり。ふりかへりふりかへり見をくりて、あとに心はとゝまりて、たゝのさとにそくたりける。

絵3  なかみつ、わかしゆくしよにかへり、ねうはうをよひ出し、
「なんほう、人のいのちはすてかたきものそ。かうしゆかさいこのとき、とにもいかにもならはやと、 ちたひもゝたひおもひつれ共、わかきみをひとまつおとし申さんため、つれなくいのちなからへたり。いまは、こんしやうにおもひをく事候はす。いとま申て、さらは。」
とて、こしのかたなをひんぬいて、はらをきらむとせしとき、ねうはうかたなにすかりつき、
「しつまりたまへ、なかみつよ。たれもおもひはをとらぬそ。まつみつからをかいしつゝ、そのゝち、はらをきり給へ。 けにまことわすれたり。我々なからんそのあとに、かうしゆ丸かさいこのてい、きみの御みゝにいるならは、 いたはしや、わかきみの、野のすゑ、山のおくにかくれしのひてましますを、さかしいたさせ給ふならは、 くさのかけにて、かうしゆ丸、なけかん事もふひんなり。しかるへくは、なかみつよ、しかいをおもひとゝまりて、 われ(※く)ふうふ、一すちにねんふつ申、かうしゆかほたいをとふらひてとらせなは、なとかはとくたつならさらん。 かやうに申せは、みつからかいのちをおしむににたるへし。ともかくも、よきやうに御はからひたまへ。」
といひけれは、おもひきりぬるみちなれとも、しこくのたうりに、なかつかさ、しかいをとまりけるとかや。

 是は、つのくにたゝのさとの事。

【仲光の切腹を止める女房】

 さてもわかきみは、十せんし(十禅師)の御まへに、まことにとうさいをもわきまへさせたまはす、 たれにつきかくもんし、何となり給ふへき御かくこもなく、たゝはう(※く)として御さありしか、 まことに十せんしの御ひきあはせかとおほしくて、山よりもゑしんのさうつ(恵心の僧都)さんしやまし(※く)けるか、わかきみを御らんして、
「あら、いつくしの少人や。とうさんにては、未見まいらせたりともおほえす。くにはいつく、御さとはいかやうなる人にてましますそ。」
とたつねたまへは、ひちよこせんはきこしめし、
「さん候。是は、ようせうよりもおやにをくれ、いやしきひとり身にて候。」
とおほせけれは、そうつきこしめされて、
「それは、いかやうの人にても御さあれかし。それ(※く)、御とも申せ。」
とて、とうしゆくたちにてをひかせ、わかはうにをきたてまつりて、とし月つもりけれは、 けいせつのまとのまへにひちをくたき、てんたいしくわんのもんに、こゝろをてらし、 さんかうのしつないには、ゑんとんしつさうのくわむねんにそこをきはめ、御とし十九と申とき、 しやうほうねんしゆきやうをよみ給ひしか、かたはらにうちむき、さめ(※く)となきたまふ。

 そうつ御らんして、
「きやうこつや。ちこはなにをなき給ふそ。」
とおほせけれは、
「さん候。此御きやうをよみ候に、おやにふけうの子は、あひちこくをいてすと候ほとに、身のをきところのなきまゝに、それをなき候。」
とおほせけれは、そうつきこしめされて、
「ふしきの事をのたまふものかな。御身は、ようせうよりもおやにをくれ、いやしきひとり身にて候と、まさしくかたりたまひしか、 いまさらふけうとおほせらるゝ事こそ、こゝろえかたふ候へ。」
ひちよこせんはきこしめし、
「いまはなにをかつゝむへき。かくもんもせす、ふように候ひしにより、おやのふけうをかうふりたるものにて候。」
「さて、おやはいかやうの人にて候そ。」
「つのくにたゝのさとに、まんちうと申人にて候。」
とおほせけれは、そうつきこしめして、
「されはこそ、かねてよりたゝ人ならす、御すかたを見まいらせて候ひしか、 さては、をとにうけたまはるたゝのまんちうの御わかきみにて御さありけるを、いままてそんし申さぬこそ、くそうかふかくて候へ。 是につけても、かくもんをいかにもめされ候へ。御かんたうの御事をは、けんしむ(源信)まいりて、こひゆるし申さむ。」
とて、十九のとし、御くしおろし、ゑしんゐんのゑんかく(恵心院の円覚)とこそ申けれ。
 されは、しくわんのまとのまへには、いちしつちうたうの月をすまし、又、にんにくのころものそてには、 四まんさうあふのはなをつゝみ、つゐにてんたいゑんしうのわうさうをきはめ給ひて、御とし二十五と申に、ししやうゑしんの御ともして、たゝのさとにそくたられける。

絵4

【髪を下ろし出家する美女御前】

 されは、しくわんのまとのまへには、いちしつちうたうの月をすまし、又、にんにくのころものそてには、 四まんさうあふのはなをつゝみ、つゐにてんたいゑんしうのわうさうをきはめ給ひて、御とし二十五と申に、ししやうゑしんの御ともして、たゝのさとにそくたられける。
 むかしのはいしん(買臣)は、にしきのはかまをきてこそ、こきやうの人に見えぬるとうけたまはりて候か、 いまのひちよこせんは、にしきにまさるすみそめのころもをめされて、ふるさとにかへり給ひけり。 まつ、なかみつかところへ御出有て、ひそかにあんないとおほせけれは、なかみつ、いそきまかり出、 わかきみの御すかたをつく(※く)と見まいらせ、あまりの事のうれしさに、しはしは物を申さす。やゝありて、なかつかさ、なかるゝなみたををしととめ、
「あら、めてたのわかきみの御すかたや候。これにつけても、かうしゆか事をこそおもひいたされて候へ。 かねてより、まんちうも、御ほつたいの御すかたを御のそみにて御さ候あひた、さためて御たいめん有へし。やかてまいりて申さん。」
とて、まんちうの御まへにまいり、わかきみの御事をは、なにとも申いたさすし、
「このほくれいにきこえさせたまふゑしんのそうつ、御たいめんのそのために、たゝいま御らいりん。」
と申。まんちうきこしめされて、
「なにと申そ。ゑしんのそうつ、これまての御出とや。あら、おもひよらす。それ(※く)、こなたへ申せ。」
とて、そうつをしやうしたてまつり、まんちうやかて御たいめん有て、
「しよたいめんに、かやうの事をたつね申せは、はゝかりおほく候へとも、われらこときの大あくきやうのそくは、いかにとしてこしやうをたすかり、 こくらくにわうしやうすへく候や。」
とたつねたまへは、そうつきこしめされて、
「それ、ほつけのめいもんに、『たいつうちせうふつ、しつこうさたうしやう、ふつほうふけんせん、ふとくしやうふつとう』と、とかれたり。 ほとけもいまたしゆつせしたまはさるときは、しやうふつもなく、とかもなし。一ねんみしやういせんには、むしやうむしにして、しやうふつのちきたうにあらす、 人のをしへによらす、たゝわれとおほしめすへきなり。それ、いちけもんほうのくとくは、九ていこうのせんこんたり。 をよそ、たしやうくわうりん有へし。もつとも、ふつたうのたよりあり。 ことさらゆみやをとりたまふとも、かつせんのみちまても、これをおほしめしいたさは、一ねんしやうかいのみなもとにたちかへりて、しゆさいはさうろのことし。 きえてそくしんしやうふつたるへしと、けんしうといふものに見えて候。」
とのへたまへは、まんちう、きゑつのまゆをひらき、
「さては、ゆみやをとり候とも、一しんのむけやうによつて、こくらくにわうしやうすへく候ひけり。」
とて、御よろこひは、かきりなし。

絵5  ときしもころは、九月十三夜のめい月、くまもなかりしに、やまありとしらするしかのとをこゑも、 心すこくきゝなして、ちくさにすたくむしのねまても、我有かほに、ものあはれなるおりからに、ゑんかく、たつとき御こゑにて、
「しやくまくむにんしやう、とくしゆしきやうてん、かにしいけん、しやう(※く)くわうみやうしん。」
と、たからかにあそはせは、まことにしむりんのちうしよなりといふとも、しやくまくにして、人のこゑもなし。 四明のほらにはあらねとも、とくしゆの御こゑは、ほんてん、たうりてんのくものうへにもきこゆらん。たつとしと申もあまりあり。 こゝろの有も、あらさるも、そてをしほらぬ人はなし。まんちう、しゆせうにおほしめし、まことにすいきのなんたをうかへ、そうつをしはしとゝめ申されけれは、そうつきこしめされて、
「これは日をさしてこんきやうのしさいの候。明日きさん。」
とおほせけれは、
「さらは、御てしの御そうを、一七日とゝめ申たく候。」
そうつきこしめされて、
「是はようせうよりも、身をはなさぬてしにて候へとも、御きやう御ちやうもんのためならは、一七日はとめをかるへし。御ようすきなは、本山へをくりてたへ。」
との給ひて、御かんたうの御事をは、なにともおほせいたされすし、よくしつに、そうつは御登山有。

【満中のもとを訪ねる恵心僧都と美女御前】

 ゑんかく、ひとりとゝまつて、七日御きやうをあそはす。まんちう御らんして、
「さもあれ、きはうはいかやうの人にましますそ。それかしも、御としほとの子をもつて候ひしか、 かくもんもせす、ふように候ひしによつて、さふらひに申つけ、くひをうつて候か、いまさらこうくわいつかまつれとも、そのしるしも候はす。 これに候女は、その子かはゝにて候か、わかれをかなしみ、御らんせられ候ことく、りやうかんをなきつふして候。 なにとやらん、御すかたを見たてまつれは、その子にすこしにせさせたまひて候事よ。いかにみたい、きこしめせ。このほと御きやうあそはされ候御そうこそ、有しひちよにすこしにさせたまひて候。」
とおほせけれは、みたいきこしめされて、
「あら、なつかしやさふらふ。いまよりのちは、さしたる御ようさふらはすとも、つねはたちよらせたまひ、御きやうあそはし、みつからなくさめてたまはりさふらへ。」
 ゑんかくきこしめされて、
「扨は、我ふようによつて、はゝのまうもくとならせ給ふ事よ。さこそふつしんさんほうも、われをにくしとおほすらん。さいしやうのほとこそくちおしけれ。」
と、ほつとていさ(ママ、「き」の誤りか。)うしたまひて、きねん申されける事こそ、しゆせうなれ。

「なむりやうせむせかいのしやかせんせ、ほつけしゆこ三十はんしん、本山こわうさんわう十せんし、 ふつほうのいりきれいけんちにおちたまはすは、はゝのまうかんをたちまちひらかしめたまへ。かけんとうみやうふつ、ほんくわうすいによし。」
と、此もんをとなへ、かんたんをくたきいのられけれは、まことにふつしんもふひんにおほしめさるゝか、 ほんそんの御まへより、こんしきのひかりたちて、きたの御かたのいたゝきをてらしたまふ。まんちう、おほきにおとろき、
「なふ、あれ(※く)御らん候へ。ほんそんの御まへより、こんしきのひかりのたゝせ給ひて候。」
とおほせありけれは、きたの御かたきこしめし、
「それは、いつくに候。」
と御らんしけれは、ありかたや、しゐてひさしきりやうかん、たちまちはつとひらけけり。
 きとくなりとも、なか(※く)申はかりはなかりけり。

絵6

    【円覚が念仏を唱えると、
        本尊が光を放ち、盲目の母の目が開く】

 まんちうふうふ、手をあはせ、
「まことのいきほとけにて御さありけり。」
とて、くきやうらいはいしたまへは、ゑんかくさをさつて、をそれをなす。まんちう御らんして、
「あら、かたしけなや。なにとて御さをさらせ給ふそ。」
「さむ候。しやくそん、御せつほうのみきん、ちゝしやうほん大わう(浄飯大王)の御ちやうもんに出させ給ふ時は、 ほとけたにも、れんけさをさりたまふに、ましてやわれらはいやしきそう。いかてかをそれをなささらん。」
 まんちうきこしめされて、
「あら、おろかのおほせや。それはおやこのれいき、是はいしやうたもんの事。何かはくるしう候へき。」

絵7  ゑんかくきこしめされて、
「いまはなにをかつゝむへき。我こそ有しひちよにて候へ。なかつかさかなさけによつて、わか子のかうしゆをきり、われをはたすけ候そや。 かのそうつにつきたてまつり、ふしきにかゝる身とまかり成て候。」
とかたり給へは、まんちうふうふ、ゑんかくのころものそてにすかりつき、
「是はゆめかや、ゆめならは、さめてのゝちをいかゝせん。」
まことはうつゝなりけれは、うれしさたくひましまさす。
「されはこそ、よきらうとうにはへつしておんをあたへめしつかふとは、いまこそおもひしられて候へ。なかつかさかなさけをは、しやう(※く)せゝわするまし。」
とのたまひて、いそきふうふをめされ、
「や、これ(※く)見よや、ふうふのもの。今よりのちは、ひちよこせんを、なんちらふうふかためには、かうしゆ丸とおもふへし。こしやうの事をは、たのもしく思へ。」
とて、まんちうも、きたのかたも、なかつかさふうふのもの、ゑんかくにいたきつきたまひ、うれしきいまのなみたには、一しほぬるゝたもとかな。

【円覚にすがりつき涙を流す満中・仲光夫婦】

 をよそ九まん八せんちやうの御りやうをふたつにわけ、ふちはらのなかつかさなかみつにあてをこなはせ給ふ。 又、かうしゆ丸かほたいをとはんため、せうとうし(小童寺)といふてらをたて、ほんそむには、ちこもんしゆ(稚児文殊)をつくりて、しゝにのせ給ふ。

 それ、ほつけといつは、みたゑしやうほうまんとくのくらゐ、三せのしよふつしゆつせほんくわいは、しゆしやうしやうふつのちきたうなり。 きやうにあらはすときは、めうほうれんけの五しにつゝめ、なにとくときは、なむあみたふつの六しにせつする也。 あるひは、五こうしゆいのゆいしのきやうを六しのなにつゝめ、十こうしやうかくのくわとく、一ねんしやうねんしゆしやうにほとこすと見えたり。
 しゆいといつは、させんのひみつなり。てんたいにはしくわんととき、しんこんにはしつさうけうさうとのへたり。
 ほつさう、三ろんには、くう有のにうの二相にかゝはる。くきやうきよゆうのめいせむも、みなこれいちしつふさうのかいけんにしかす。 たゝ、しゝふしゆせつかほうめうなんしと、くわんすへし。
 めうらく大しの御しやくにいはく、
「しよけうしよさんたさいみたこゐさいはうにゐ一しゆん、ゆいしんのみたこしんのしやうとなれは、ほんらいむとうさいかせううなんほく」
ときくときは、いかにもしてこゑに出して、ねんふつを申へし。あみたは、ほんらいのめんもくなり。 十まんおくともへたてす、われらかほうすんのうち、れき(※く)としてふんみやうなり。もとよりはうかくなし。 たねんしやう(※く)たり。あにしきさうにあつからんや。もとよりほつけとねんふつは、いちくのほうもんなり。
 されは、こふつのてんにいはく、
「しやくさいりやうせんみやうほつけ、こんさい西はうみやうみた、ちよくせまつたいみやうくわんをん、三せりやくとう一たい、りしゆしやと云々」。
 いかにとしてほつけとねんふつ、かくへつにこゝろうへき。たゝしやうしははるのよのゆめのことし。 しんによの月は、もとよりめいはくたり。たにんのしゆみやうをかつて、しゝんのいのちをつく。まよひのまへのせひは、せひともにひなり。 さとりのまへのせひは、せひともにせなり。した一によたり。
 ふんみやうなるかなや、さきにしするかうしゆ、のちにしするひちよこせん。いまははや、名のみはかりそのこりける。
 されは、くうや上人の一しゆのうたにかくはかり、
    よのなかにひとりとゝまるものあらはもしわれかはと身をやたのまん
と、ゑいし給ひけるとかや。
 とうはうさくか九せんさい、うつゝらの八まんさいも、名のみはかりそのこりける。 ひさう八万こう、むとうかねふりも、たゝゆめのよのうちなり。

 まんちうの御こゝろ、のりのためにくはたて、さいしやうみ(ママ、「の」の誤りか。)なかれをくみ、 ほたいのみちあきらかに、しゝそん(※く)もはんしやうし、てんかをたもち給ふ事、せんしうはんせいのみなもとをあらはしたまふ物なり。 はた又、かやうにきををもんし、命をかろくし、名をのちのよにのこしをく、かうしゆ丸か心中、しやうこもいまも末代も、これやためしなかるらん。人々申あひにけり。

- 完 -

翻刻 上巻へ